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旅と都市と、境界のかたち

  • Mar 22
  • 6 min read


旅とは、新しい世界を探し、全く新しい自分を見つけにいくものだと言う人がいるならば、


私にとっての一人旅は、

ひんやりとした滑らかな

途切れてしまっていた感覚に

手のひらでそっと触れ直すようなものかもしれない。


街ゆく人の表情も

小さな街角の退屈なお喋りも

海の匂いも、空の近さも、

スニーカーの底から伝わる地面の感触も

身体に流れ込んでくる、その流れの質感の違いを感じて。


光を含んだ髪を揺らして、美しい目の色をした

子どもたちのエネルギーも

愛し合う恋人たちも

街に流れる時間の質感も

みな愛おしくて、その心の穏やかさに気づいて。


新しい都市への一人旅は、

しばしば、内側へと静かに沈み込むような感覚を呼び起こす。

それはまるで、子どもの頃に学校をずる休みしたときの感覚。

みんなが社会の文脈の内に生きている中で

自分だけ滑らかに外れて属していない感覚。

わたしは世界に影響を全く与えず

透明人間のように軽やかにすり抜けてく。

母国語のなかで、

透明の見えない壁の部屋で、

私は静かに自分と向き合っている。


でもそこにあの平穏は私を待っていて

それは日常の中でずっと

身体が求めていた澄んだ空気のような平穏で、

その中に沈むように座って私は、ひたすら世界を観察する。

身体が受ける刺激、その小さな反応、

響き、共鳴を、

静かに耳を澄まして観察する。

それはまるで長い読書のようだ。


新しい世界のなかを通り過ぎながら

自分の胸に浮かんでは沈んでいくものをみつめている。

街の時間に触れて

波紋を、自分の内側で静かに観測している。


***



***


いつからなんだろう。


私にとって旅は

祭りや誕生日のような、非日常の高揚をもたらすものではなくなった。

あの、若くて愚かな、くだらない初恋のようなときめきではなくなった。

旅に出る度に感じるのは

もっと静かで、味わうような、

そんな穏やかな心の動き。


一体全体、「異国情緒」とはなんだったのだろう。

考えてみれば、私はそもそもそれを強く感じたことがなかったのかもしれない。

無邪気に世界を面白がる子どものような敏感な感性をなくしてしまったから?

それとも、世界を均質化していく文化の側に、自分がすでに標準化されてしまったから?


私の生まれ育った文化には、「異国情緒」「異国」への憧れが、溢れていた。

私にも幼い頃は、そんなものが人並みにあったような気もする。

でもそれらは人間の遥かなものへの憧れで

知らないものへのときめきであろう。

盲目的な恋みたいに、無知で無関心で。


「君の東アジア人的な特徴が、エキゾティックで魅力的なんだ」


そう星をたくさんに閉じ込めたような目で言ってくれたところで、

意味ある人間関係とはそういうものじゃないでしょう?


だからきっと、この変化は、

失われたものではなく、むしろ獲得したものなのだ。


未知なる世界へのときめきを、知識はなくしてしまうからと、

学問を恐れる人がいるけど、

物理は、サイエンスは、歴史は、学問は、

いつも世界をより複雑に、より深く、そして静かに美しくする。


派手な驚きではなくて、持続する問いと、穏やかな感動で。


***



***


都市は、時間の器のようだ。

そこを生きる人たちは、どこでも変わらない、私たちと何にも変わらない人間。

美味しいもので心を満たされ、太陽と自然と家族と友人を愛し、

手作業で生活を紡ぐ人たち。


でも都市という器は、

言語が私たちの思考の形を内側から規定しているように、

空気、色、肌触りとなって街のそこかしこに立ち現れて、

その土地の生活の枠組みを、

流れる時間の質感を、

静かに染み込むようにして、作っている。


深い歴史を持つ都市は

その痕跡を街中に残しながら

あるいは全く気配を消しながら

無数の証拠を、そこかしこに散りばめている。


旅人にとって、

あるいは観察者にとって、

都市は時間と記憶の層として読むことができる。

でもそこに生きる人たちは、

ときに驚くほど、それら全てをすっかり忘れて

ただ現在のなかで、現実の生活を生きている。


人間誰もが、自分の過去も文脈も、抱え続けることができないように。

忘れて生きているように。


***



***


港町には、独特の気配がある。


イスタンブール。

何層にも重なった時間が、そのまま流れていく感覚。

急いでいるのに、忙しいのに、緩やかで。

目まぐるしくやってきては去っていくもの。交差しては外に出ていくもの。

接続の忙しさのなかで、

変わらない古い街路。

坂の多い、遠回りで、小さな道。

街角のおしゃべり。

街に染み込んだ祈り。

矛盾を抱えたまま動き続ける。


ストックホルム。

静かでゆっくりだけど、正確で丁寧な時間の流れ。

川も森も湖も、生活のすぐ隣で、一緒に呼吸している。

開いているのに。秩序があり余白がある。


シンガポール。

人工的で、徹底的に超効率的なのに、

そのシステムの内部をいろんな時間感覚が、圧倒的な多文化と生々しいエネルギーが、交錯している。

煌びやかで正確な無機質なシステムと

それを全く無視した生身のストリート。

そこに不思議に成り立つ効率。


リスボン。

緩やかな時間の流れの中で、

過去がいつも近く、沈殿するようにそこに留まっている。

記憶と、外への想像力と、喪失と、日常の手触り。


ベネチア。

街そのものがインフラ。水の流れが時間の流れ。

水はずっと流れ続け、ずっとそこに留まっている。失われやすく、脆く儚いものを、

ずっと守り続けてきた美しい海の都。 


ニューヨーク。

巨大な街に、いつも消えることなく画一に刻まれる時間。

多文化は競争。成長も変化も加速。

圧倒的な刺激、煌びやかで過剰な光、終わりのない更新。

自己更新の都市。でもどこに向かって?なんて誰も言わない。

そして誰もが孤独な街。


***



***


私は、海の近くの、でも閉ざされた、

時間がゆっくりと流れる、美しい街に育った。


安定していて、価値観は均質で、

高い真っ青な空に、雪虫が冬を知らせに来れば

はらはらと粉砂糖のように雪がふった。


透き通った川には魚がいて、

夏には懐かしい雨と生命の土の匂いがして、

空の色がダイナミックで深くて濃くて、

夕焼けがどうしようもなく心を掻き乱す、

そんな街に。


だからなのかもしれない。

複雑で、重層的で、不安定で、不完全なもの。

境界が曖昧なまま、揺らぎ続けているもの。

違いが混在したまま、共存しているもの。

そんなものに、私は強く惹かれる。

港町でなくてもいい。境界にある場所。異なるものが混ざり合い、揺らぎ続ける場所。

「ひとつの正解で閉じた世界」に、 ずっとどこかで違和感を抱えてきたから。


***



***


複雑さを失わずに、そのまま在り続けること。

そういう世界を、美しいと思うし、

そういう世界を見つけにいく旅が、

矛盾を抱えたままそのまま美しいものが、


私は今も、この先もずっと、

どうしようもなく好きなのだと思う。


 
 
 

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